貧者の一灯~大切なのは心からの布施


いまから二千五百年ほど前、お釈迦(しゃか)さまがいらした古代インドでのこと。マガダ国のアジャセ王が、お釈迦さまをご招待し、その帰り路を灯明をもって照らそうようと考えました。


そのことを知った城下に住む老婆も、灯を供養したいと望みました。しかしこの老婆は、物乞いをしながら日々の生活をしている貧しさで、お金は一銭もありません。そこで老婆は、当時の女性の命とも言われる自らの髪を売って、わずかに一灯を得ました。それを、アジャセ王のきらびやかな万灯(まんどう)の片すみにそっと献じたのです。


翌朝、アジャセ王が献じた万灯はすべて消えてしまっていました。しかし老婆の一灯だけは消えずに、明々と灯っておりました。


お釈迦様のお弟子のひとり目連(もくれん)尊者が、それを消そうとしますが、なぜか消えません。目連といえば、「神通力第一」と言われた、お釈迦さまの十大弟子の一人です。その目連をもってしても、老婆が献じた灯を消すことはできませんでした。


それをご覧になって、お釈迦さまは言われました。


「目連よ。そなたの通力によっても、この灯は消せはしないのだよ。なぜなら、この一灯こそ、まことの布施の灯であるからである」 

マルコによる福音(マルコ1238-44、または1241-44)

41イエスは賽銭箱(さいせんばこ)の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。おおぜいの金持ちがたくさん入れていた。

42ところが、一人の貧しいやもめが来て、
レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

43イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れる人の中で、だれよりもたくさん入れた。

44皆は有りあまる中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物すべて、生活費を全部入れたからである。」


布施という行為は、いずれも尊いものです。しかし、
以上、仏典と聖書の説話は、その中でも大切なのは、”こころからの布施”であることを物語っています。

そして、もしお金があったらその使い道を良く考える。

何に使うことが、
自分にも

まわりの人々にも
そして自然環境にも
良いのかを考えてほんとうに有効なことのために使えるようになることだと思います。