カンボジアミッション2013

 

6/2  午後の早い時間にアランヤプラテートを出発、国境でタイ組との分かれのご挨拶を。

ほんの数日間ご一緒しただけなのに、何とも言い難い惜別の念が去来する。

皆それぞれの想いを胸にしまいを故国へと旅立っていった。

苦手な国境越えをなんとか乗り越えてカンボジア側へ。

カンボジア組は上座部の僧侶サレス師、キエさん、タイから同行していただくソムヨットさん、D.S先生、Z.Nさん、M.Hさん、R.Sさん、H.O8名で出発。

夜バッタンバンのホテル到着 終日、移動のため少し疲れが。

雨の中、まるで映画のセットのような豪華なレストランで夕食。フランスの残り香のような佇まいにしばし疲れを忘れる。

 

6/3  朝バッタンバンを出発し、タグネン村の米銀行へ。

米倉の中をスタッフの方と視察する。米俵? 大きなビニール製の袋の重量は100kg。中にはぎっしりと種籾が入っている。時期的に種もみは少なくほとんどが出荷された後らしい。 3名のスタッフに説明を受けながら現状を伺う。 彼らの年間サラリーは800kgで、米で支給されている。流通レートにもよるが 換算すると200ドルくらいになるらしい。 もちろん彼らの実働日数は種籾の支給と収穫期の合計2ヶ月くらいだそうだ。 受給者が米銀行に納める利息分の20%という数値設定も含め、改めて考察する必要があると感じた。    村の中に建設された井戸は大切に使われていた。 量は少ないが確実に村のみなさんの生活を潤すものとなっていた。 村の子供達の就学率は6才くらいからは全員学校に通っているとのことだった。 今後、教育問題に関してはより詳細なデータを積層させていきたい。 村はずれには伝統的なゴザを編んでいる方達を見かけた。
簡単な構造の織機でシンプルな模様も美しかった。 二人がかりで作って約1畳分のゴザをつくるのに2日掛かるとのこと。 1枚の単価は4ドル。なんとか、流通に載せられないものかと思案は続く。 タグネン村の近くにある、巨大な湖を望む場所で、仏陀バンクから融資をうけ3年前から小売店をやっているお店は、いまでも営業を続けていて嬉しかった。
絶対的な需要が少ない中、なんとか頑張って下さいと祈るばかり。 あまりにも規模が大きすぎて、本当に人海戦術でこのような灌漑設備がもたらされたのかとため息が出るほど広大な湖で、国民の多くが水田地帯の強制労働にかりたてられ建設されたそうだ。この過酷な労働と飢えのために多くの命が失われたが、これも、もとをたどれば、ポル・ポトらが、稲作の近代化を人命より優先するという狂った農業政策を実行に移したからだった。 昼食後、仏陀の池1の視察。少ない村人の皆さんの歓迎を受けつつ、法要させていただく。 
サレス師のパーリ語のお経と日本語のお経が満面と水を湛えた池に染みこんでいく。一部では農業用水としてホースでくみ上げられていた。 確実に村のみなさんの生活に欠くことのできない命の水だった。 急ぎ足で次の仏陀の池2に。
法要をすませると待っていたかのような幼い少年達がやって来て池の水をくみ始めた。  1つのポリタンクを持たせて貰うと約50kgはあろうかという重さに持ち上げるのも困難な状態。
村まで運ぶのは至難の業だなと思っていると、なんと耕耘機の後ろに荷台をつけた車両で元気に運転する姿は逞しかった。 帰る道すがら、ベトナム人のカンボジアに対する驚くべき戦略の一端を垣間見た。 ダイヤモンド鉱山。 ベトナム人は経済的にカンボジアを掌握しつつあり、さらに強権的な立場でダイヤモンド鉱山を手に入れていた。 確かに歴史的にはカンボジアはベトナム軍に占拠され、わずか20年前に軍は撤退したばかりで、 まだまだあの手この手でカンボジアを手に入れようとしているらしい。 夜8時過ぎにコンポンチュナンにあるホテルに到着。 ありがたいことに隣接するレストランで食事することができた。
6/4この日最初に立ち寄ったのは、メコン川流域に生活する水上生活者の村。
水面に浮く小さな家をつなぎ合わせて、それがいくつも連なり、広大な景観を有していた。 河川敷にある掘っ立て小屋が並んだようなトウモロコシを加工する小さな工場とは呼べない場所や 同じ敷地内にある商店を見学した。 足場の悪い中、活気のあるみなさんの生活になんだか嬉しくなった。 食べ物も豊富で、中でも虫は有効なタンパク源として大きな入れ物に、山盛りで売ってある。蜂やバッタはたぶん甘露煮のように甘辛く味付けされているのだろう。
ただ、巨大なタガメの姿に圧倒され、まあ、こんなにたくさん取れるのかと驚いた。 タガメは池に生息する食物連鎖の王者で肉食。魚やカエル、時には蛇やカメなども食する。 日本でも食用に用いる地方もあるらしい。タガメには申し訳ないが、どうしても好きになれない。 駆け足で本日の視察場所のスレイプレイ(チャンパ族)の村に。 イスラムの方達のモスクに並立して建てられている学校にお邪魔して、 日本から持って行った文具用品をさし上げることになった。 先生にお渡しして、後で分けて貰おうと思ったが、直接渡して下さいと言うことで鉛筆1本づつ子供達にお渡しした。 きらきら輝く目で、感謝の言葉を貰うと、鉛筆1本でごめんなさい!!!!!!と思ってしまう。 和やかで感動的な交流が過ぎたころ、突然D.S先生の朗々とした歌声が学校中に響き渡る。 日本語で「故郷」を熱唱されたのだ。言葉はわからなくとも子供達は好奇のまなざして 美しい歌声に感激しきりだった。やさしい時間が過ぎていく。 後ろ髪を引かれるような気持ちで子供達とお別れする。
その後、彼らのチャンパ族の村を訪問。 代表の方のご自宅を訪問させていただく。 驚くほどきれいに整理、掃除された場所。井戸も透明な水が満ちていて、 農具もキチンと手入れが行き届いていた。 清浄で居心地の良い空間に爽やかな風が身体を通り抜けていく。 クメール族の方達との違いを思った。やはり宗教の違いしか思い当たらない。    井戸の水を地上から高さ160cmのバケツに入れ、そこから13m離れた トイレの洗浄にパイプでつながれているのには驚いた。 貧しい生活の中にも、懸命に努力されている姿がそこにあった。

そして、米銀行用の倉庫の必要性を伺った。 現在の倉庫では手一杯になっているとの事。もっと大きな倉庫が必要だが、なんとか支援出来ないかと言われた。   

昼食後ウドンにある王宮の跡を訪問。
そこは悠久の歴史の中で忘れられた美しい花のようだった。 遷都される前と言っても何百年も前のこと。 一時は周辺のベトナムやタイに攻められ、この王宮の周囲数キロしか領土がなくなってしまったこともあったという。 美しく荘厳でりっぱな寺が林立し、手入れの行き届いた佇まいに 何故かセンチメンタルな気持ちになる。忘れ去られた王宮。 時代の喧噪から取り残されてしまい、今では、子供達の遊び場となって静かに時間が流れるままになっている。 昼食は何やら門前市のような場所で頂く事になった。 奥までずっと伸びた屋根の下には、簡単な座敷が連なっていて 売り子さんのおばさんが珍しいお菓子や食べ物を売り歩いている。 鶏の丸揚げや魚の丸揚げなど美味しそうな食べ物が並んだ。 しばしの休憩を楽しんだ後、一路プノンペンへ向かう。
道の途中に、ヴィパッサナー瞑想センターの見学に行く。 広々とした土地に点在する建物。 その、圧倒的な存在感に絶句してしまう、 金色に輝く巨大な角のような屋根は天を貫いていた。 その勇壮な僧院??の姿に見とれてしまう。

カンボジア最大の瞑想センターと言うことだが、僧侶、尼僧の方々はほとんどの方はお年寄りで閑散とした場内は一抹の寂しさを醸し出していた。

そして、熱心に瞑想する敬虔な姿に感動を覚えた。 

カンボジアは人口比で96.4%の世界一の仏教徒を有する国。

しかし、ここでも、若者の宗教離れは始まっているのだろうか。
 

この瞑想センターの中興の祖と呼ばれる僧侶が亡くなられ

ご遺体が安置してある霊廟は、身が引き締まるような空気が流れていて、そこで上座部のリクエストに呼応する形で

D.S先生とZ.N上人のお経が響き渡った。言語は違えど、荘厳な響きに胸が打たれる。

午後いよいよプノンペンに入った。 3年前より格段の活気と勢いが波のように押し寄せてきた。 今プノンペンは空前の発達に街中がうなり声をあげているかのよう。 サレス師のホームグランドのお寺に案内される。 するとキエさんが見せたい物があると言うことで、同じ敷地内にある、研究所のような場所に案内された。 そこはかつてキエさんが古代パーリ語を学んだ学舎だった。 カンボジアの寺院に古くから伝わる教典は椰子の葉に書かれていて、 損傷が酷くカンホジア全体に点在する教典をこの研究所に集めて古代パーリ語からクメール語への翻訳をしている。
黙々と作業されている方はキエさんのかつての教師で、この古代パーリ語の翻訳が出来る人はキエさんを含めて国内で3人しかいないそうだ。 椰子の葉の教典はしっかりしていて驚いた。そして気の遠くなるような作業の進捗を思うと頭がさがる。 夕食は今日から合流されたK.N上人と楽しい歓談の宴が開かれた。 レストランにわずか7才の少女が売り子さんとしてバッグを売りに来た。 驚くほど達者な英語でテキパキと仕事をするあどけない姿に胸が痛んだ。 6/5 朝。いよいよ妙法センターに到着。 キエさんの計らいで、CSカンボジアメンバーの皆さんが、100名位、各地の村々から集まっていた。  また、上座部の僧侶も20名位来て下さっていた。賑やかな中、上座部と大乗とで交互にお経を唱えていく。
庭には大きなテントが設営されていて、もう、立派なセミナー会場の様子を呈していた。 K.N上人の堪能な英語で繰り広げられるやさしい説法をセレスさんがクメール語で翻訳し息のあったコンビネーションの講話に皆熱心に聞き入っていた。 穏やかな中にも真摯な空気が流れ、大切な学びの時間が過ぎていく。 今回通訳としてM.K上人のお知り合いの通訳の方と、以前カンボジア事務局職員だったヘインさんが通訳として来て下さった。ヘインさんは2年間日本の立正校正会で勉強されたので、仏教用語も堪能で心強かった。    村人の皆さんの心づくしの美味しい料理を頂いた後はいよいよ今回のメインイベントである。上座部と大乗の僧侶同士による対話が始まる。    今年2月、キエさんが来日した際、D.S先生、R.Sさん、私とで長時間の会議を行い、カンボジア上座部のお寺の腐敗ぶりを聞いて、激しいショックを受け、 何とか出来る事は無いかと言うことで今回の直接対話が実現した。 寺の中で、上座部と対峙する形で、日本側はD.S先生、K.N上人、Z.N上人を中心にM.Hさん、R.Sさん通訳の方、そしてヘインさんが陣取って、質問形式で闘いの火ぶたは切られた(笑)
口火を切ったのは日高さん、今年水不足の際、お寺の中にある井戸の水を門を閉め、村人達に分け与えなかった事をどう思うか、という質問には、そんなことは絶対に無いと言われた。 このような形で日本側からの質問に上座部の僧侶が応え続けた。 通訳の関係でまどろっこしい感は否めないが、歴史的な意味に於いて記念碑的1ページではないだろうか。 長い時間、独自の道を歩んできた宗派が色々な事情を乗り越え対峙出来た事は歓喜に値する。 実はこの対話実現に先立って、上座部の僧侶には、求道することも大切だが、それだけでは真の悟りとは言えないのではないか。 悟りとは民衆としっかり対峙し、仏法を広げ、民衆の心に法灯を灯すことができてこそ、菩薩道なのではないかと。 そして、D.S先生は想像を越える作業をして下さいました。 上座部の僧侶の経典となっている物の中に、しっかりと民衆へ教えを説くことを明記してある部分を見つけてくださり、それを抜粋し、経典を根拠に僧侶の方達が民衆への教えが困難であると言われた時はしっかりと対峙することが出来る準備をして下さいました。 D.S先生のこの尊い作業は無駄にすることなく、今後地道に上座部の皆さんとの対話の中でしっかり生かしていきたいと思います。 これは、ごく限られた中なので、到底断言できるものではありませんが、聞き取り調査の結果、カンボジアの民衆はお寺に祈願に行くそうです。 お布施をし、その願いが成就したら、お礼としてまた、お寺にお布施をするのが慣例となっている。 まさに御利益宗教そのものになっていた。さらにキエさんからも事前の情報として、免罪符を発行するお寺があるとの報告を受けていた。 中世ではあるまいし、仏教でそのような腐敗が横行しているとしたら、ただならぬ問題である。 河原の石を1つとって、山脈の形成を論議することなど到底出来る事ではないが、帰納法的に考えればカンホジア仏教全体が民衆としっかりと対峙していないのではないか。誤解を恐れずにもう少し言わせてもらうと お釈迦様が悟りを開いて2500年有余。何千という仏典が生まれ、多くの宗派が形成された現代。 仏教の「教えが」民衆と乖離していると言っても過言ではないのではないだろうか。 仏教の本質は生きる為の知恵であり、苦しみから救済することができる教えだとしたら、民衆にその知恵が伝播されないとしたら本末転倒だと思う。 お釈迦様はその生涯を悟りの普及に費やされ、知識がない貧しい民衆に慈悲とわかりやすい言葉で生きる知恵を伝え続けられたのですから。   
6/6 昨日に引き続き、カンボジア僧侶の方との討論会。
今日は先日お会いしたキエさんの恩師や経典の知識が豊富なキエさんのご友人、 そしてたまたま同じ時期にカンボジアへ活動に来られた有機農業のNGO「いすの木」の方も参加、CSカンボジアのメンバーも加わってさらに対話が続けられた。 「いすの木」のSさんという方から最後にとても心に響く言葉が現地のCSカンボジアメンバーに向かっての放たれました。
あなた方は、いつも、あれがない、これがない、とないものの数を数えている。 そして、ないことに落胆してしまう。 そうではなくて、いまあるものを数えなくてはいけない。土地や家族やあなたがいるではないか。と。ないものはつくればいい。 次に、まず自分達でできる事をやってみる、そうすれば必ず助けはやって来る。と。そして自分の力を信じるって事の大切さを教えていただきました。 シンプルで、批判ともとれる言葉の中に、長年現地の人々と関わり合う中で、彼らに向けた素晴らしい叱咤激励だと受け止め、この言葉は私達も深く刻むべき言葉だと、感謝しました。 最後にソムヨットさんが溢れる笑顔とユーモアでCSカンボジアメンバーに語れかけた。初めてたくさんの笑いが会場に響き渡った。 どうしても、メンバーの皆さんに対して、教えてさし上げたいという気持ちが優先して、上から目線になっていたことは否めません。 そのことをソムヨットさんから教えていただいた。軽妙な言葉ですくすくと成長の早い樹木の種をプレゼントされるみたいだった。 カンボジア上座部との対話の中で、民衆に対峙し、出来うることはやっているというありがたい言葉をいただきました。 少なくとも参加して下さった僧侶の皆さんは努力し、改善しようという想いを感じることができました。 これからもすこしづつ協働してやって行ければと思いました。 とうとう、別れの時がやって来た。 CSカンボジアメンバーの皆さんは、溢れる笑顔で次々と来て、さよならを言って下さる。 手を握りしめて、またお逢いしましょう。どうかお元気でと声を掛け合う。 トラックの荷台にぎゅうぎゅう詰めになりながら、ちぎれんばかりに手を振ってくださる姿に、心が震えるような寂しさと感謝とそれぞれが入り交じった気持ちになる。 ほんの少ない時間だったが、なにか大切な物を共有できたかけがえのない時間だった。 M.H さんやZ.N上人が、トラックを追いかけて走る。 遠ざかるトラックが小さな点になるまで見送る。 後には泣きたくなるような青い青い空がどこまでも広がっていた。
つたないレポートを最後まで読んでくださり、ありがとうございます。    岡田キム